「なんで今日はこれが食べたいんだろう?」と気づいた日
昔の僕は、食べ物の好みがはっきりしていた。
たとえば、「肉が好き。毎日でも食べたい」「ピーマンは苦いから食べたくない」。
そんなふうに“好き嫌い”をはっきり線引きしていたタイプです。
でも、ここ数か月――特に自律神経と向き合うようになってから、食べ物の好みが変わってきたんです。
同じ「好き」なものでも、**“今は欲しくない”**と感じる日がある。
逆に、「嫌い」だと思っていたものが、なぜかふと食べたくなる。
以前の僕だったら、「どうしたんだろう?」って首をかしげて終わってたと思う。
けれど、自律神経と仲良くなってくると、「あ、これって身体が何かを求めてるんだな」と感じるようになりました。
自律神経が整うと、身体の“声”が聞こえてくる
自律神経は、心と身体をつなぐ“通訳者”みたいな存在です。
ストレスで交感神経が優位になると、胃腸の働きは落ち、味覚も鈍くなる。
逆に副交感神経が優位なときは、リラックスして食事を味わえる。
だからこそ、自律神経のバランスが整ってくると、
“頭で考える食”から、“身体が感じる食”に変わっていくんです。
たとえば、疲れている日はなぜか塩分のあるスープが欲しくなる。
動きたい日は、自然とエネルギーになる炭水化物を求める。
心がざわついている日は、温かいお茶を飲みたくなる。
それは偶然ではなく、身体がそのとき必要な栄養素を教えてくれているんですよね。
つまり「今日はこれが食べたい」という感覚そのものが、
身体からの“メッセージ”なんです。
「好き嫌い」は固定観念。自律神経と仲良くなると変わる
僕は最近、「好き嫌い」という言葉そのものをあまり使わなくなりました。
なぜなら、食べたいものはその日の自分の状態によって変わるから。
たとえば、昔は「嫌い」と決めつけていたピーマン。
今は、疲れている日にふと食べたくなることがあります。
そのとき食べてみると、「あれ?意外とおいしい」と感じる。
反対に、どんなに好きな食材でも、
ストレスが溜まっているときには身体が拒否するような感覚がある。
「好きでも食べたくない」ときがあるのです。
つまり、“好き嫌い”というのは固定的な性格ではなく、
そのときの自律神経の状態、心の状態、栄養のバランス――
すべての反映なんですよね。
だからこそ最近の僕は、
「今の自分に合う食べ物」という視点で選ぶようにしています。
食べることは、自律神経との“対話”
昔は、食事って「栄養を摂る」ための行為だと思っていました。
でも今は違う。
食べること自体が、“自律神経と遊ぶ時間”になっている。
たとえば、
・口に入れた瞬間の温度や香りを感じる
・一口食べたあと、身体が「ほっとする」感覚を観察する
・「今日はこれがいらないな」と感じたら無理に食べない
こんなふうに食事をすると、ただ食べるだけで身体が整ってくるんです。
食べることが“瞑想”のようになるというか。
自律神経って、意識ではコントロールできない領域にあります。
でも、「何を」「どう」食べるかは、自分で選べる。
その“選ぶ感覚”が磨かれていくと、結果的に神経のバランスも整っていくんです。
私からの一言|“好き嫌い”を超えた先に、本当の自由がある
今思うのは、
「好き」「嫌い」って、自分を守るためのラベルだったのかもしれないな、ということ。
でも、自律神経と仲良くなっていくと、そのラベルが自然と外れていく。
その瞬間、食べることがぐっと自由になるんです。
食べることを通して、心と身体の“今”を知る。
それはまるで、毎日違う自分と出会うような感覚。
「昨日は苦手だったけど、今日は美味しい」
「前は大好きだったけど、今日は重たい」
そんな小さな変化を感じ取ることが、
自律神経とつながることなんだと思います。
だから僕は、食事のたびに思うんです。
“好き嫌い”をジャッジするより、
“いまの自分に合うかどうか”を感じるほうがずっと豊かだなって。
食べることは、生きることそのもの。
その瞬間瞬間で、身体が何を求めているのか――
そこに耳を傾けることが、自律神経と仲良く生きる第一歩なんだと思います。
人生一度きり、仲良くやってこう