なぜ「人と自然の循環」というテーマに惹かれたのか

ここ数か月、僕の中でずっと根っこにあるテーマがある。
それが、「人と自然の循環」だ。

きっかけは、忙しさに追われる毎日の中でふと立ち止まった時だった。
人のため、社会のため、家族のために頑張ることが当たり前になっていたけど、気づけば自分の心と体は置き去りになっていた。

そんなとき、海や森の中で過ごす時間が僕を救ってくれた。
夕日を見ながら深呼吸したとき、体の内側に「自然のリズム」が流れ込んでくる感覚があった。
「ああ、僕たちも自然の一部なんだ」
そう感じた瞬間、自分の中で何かが整い始めた。
そこから僕は、「頑張ること」よりも「循環させること」に意識が向くようになった。

頑張りすぎる人ほど、自分を見失う

今の世の中は、“頑張りが正義”みたいな空気に満ちている。
仕事でも、家庭でも、SNSでも、「もっと努力しなきゃ」「役に立たなきゃ」っていう声がどこかから聞こえてくる。

でもね、頑張りすぎる人ほど、自分を見失っていく。
本当は疲れているのに笑顔を作って、
本当は泣きたいのに「大丈夫」と言ってしまう。
そんな日々を続けるうちに、自律神経はどんどん乱れていく。

副交感神経(リラックス)を感じる暇もないまま、ずっと交感神経(戦闘モード)がONになっている状態。
つまり、体も心も「常時アクセル全開」。
そりゃあ息苦しくもなるよね。

僕はそんな人を何人も見てきた。
整体の現場でも、カウンセリングでも、共通して言えるのは——
「頑張る人ほど、自分を後回しにしている」ということ。

「誰かのために」というエゴ

ここで少し厳しいことを言うけれど、
自己犠牲のもとに成り立つ「誰かのため」は、結局エゴなんだと思う。

なぜならそれは、「自分が犠牲にならなければ人の役に立てない」という前提に立っているから。
でも本来の“貢献”って、そういうことじゃない。

人は、自分を満たしきって初めて、自然と他人に優しくなれる。
自分を満たしていない状態での優しさは、どこかで無理が生じる。
たとえば、いつも笑顔でいたいのに、心の奥では「もう限界」と叫んでいるような状態。

本当の意味での「誰かのため」とは、自分が心地よく満たされた結果として自然にあふれ出すエネルギー
それが人を癒し、社会を整え、地球のリズムと調和していく。

自分を満たすという“自然なこと”

自然の中で過ごすと、「満たすことの本質」をよく思い知らされる。

太陽は「照らそう」として照らしているわけじゃない。
風も「吹こう」として吹いていない。
ただ自然に存在しているだけで、世界をあたため、動かしている。

人間も本来、それと同じ。
自分を満たすことは、わがままでも怠惰でもなく、本来の自然な姿なんだと思う。

僕がよく言う「胸を開くストレッチ」も同じ。
空を見上げ、深く呼吸する。それだけで心がほどけていく。
その瞬間、自律神経は静かに整い始める。

つまり、“自分を満たす”という行為は、体のリズム(自律神経)と地球のリズムを同期させることなんだ。
そうして初めて、ヒトと自然の循環が生まれていく。

人と自然の循環がもたらす豊かさ

もし世界中の人が、もっと自分を大切にして、自然と共に生きることを思い出したら——
きっと争いごとは減ると思う。

自分を責める人が減り、
他人をジャッジする人も減り、
地球に優しくなれる人が増える。

自然はいつだって与えてくれている。
海、森、風、光。
そこに対して「ありがとう」と感じる瞬間が増えるだけで、
僕らの中にあるエネルギーは循環し始める。

自律神経も同じ。
緊張と緩みのリズムを整えながら、
心と体をひとつの“生きた地球”として感じられるようになる。

それが、僕のメタアウトカムである「人と自然の循環」なんだ。

私からのひとこと

頑張りすぎるのはもうやめよう。
自分を犠牲にして生まれる優しさは、長続きしない。

まずは、自分を満たすこと。
それが結果的に、周りを満たし、世界を癒していく。

自然は、いつでも僕らにそれを教えてくれる。
だから僕は、今日も自然の中で深呼吸をする。
風を感じながら、体に問いかける。
「今、満たされているか?」って。

そうやって一歩ずつ、自分と自然をつなげていく。
それこそが、僕の生き方であり、メタアウトカム。
ヒトと自然が互いを満たしあう“循環の世界”を、ここから創っていきたい。