なぜ私は「サップ」に惹かれたのか?
サップ――正式には「スタンドアップパドルボード」。去年、初めて挑戦したときのことを、今でも鮮明に覚えている。
きっかけは単純で、友人に「一緒にやってみよう」と誘われたから。正直、最初は「落ちたら冷たいだろうな」とか「ちゃんと立てるのかな」とか、不安のほうが大きかった。
案の定、初めてのサップは散々。
立とうとしてはバランスを崩し、何度も水に落ちる。パドルを漕いでみても、風に流されて思うように進めない。必死に「こうしなきゃ」と頭で考えすぎて、自然と戦っていた。
それでも、不思議と嫌な気持ちはなかった。むしろ「またやりたい」と思った。
だからこそ、私は心に決めた。「これは毎年やろう」って。
そして今年。二度目のサップ体験。去年とは明らかに違う感覚があった。
サップと波、そして人生の似ているところ
今年は一度も落ちなかった。
「慣れたからでしょ?」と思うかもしれない。もちろんそれもある。でも、それだけじゃない気がする。去年の私は、波に逆らっていた。コントロールしようとして、無理にバランスを取ろうとして、結果として力んで落ちていた。
でも今年は違った。
波に「委ねる」感覚があった。
うまくいえないけど、波が「こう行ったら?」と提案してくれているみたいで、それに合わせてパドルを動かしていると自然と進んでいける。
ふと、漕ぎながら思った。
「人生も同じかもしれない」って。
ゴールさえ間違えなければ、遠回りしたっていい。
一直線に突っ走らなくても、風やにおいや景色を楽しみながら進めばいい。気になる道があれば、ちょっとそっちに進んでみたらいい。そこで出会うものや学びが、自分の財産になる。
サップをやりながら、そんな人生の縮図を見せられた気がした。
サップ体験がくれた「気づき」
去年は「どうにか立たなきゃ」「落ちたら恥ずかしい」という気持ちばかりで、結果的に自然を楽しむ余裕がなかった。
でも今年は違った。波のリズム、風の匂い、鳥の声――全部が心地よくて、その流れに合わせることが楽しかった。
その違いは、「無理にコントロールしなくてもいい」と思えたことだと思う。
むしろ、流れに逆らわずに「ゆらゆら」進んでいくほうがずっと安定していた。
人生も一緒で、頑張りすぎると逆にうまくいかないことがある。
「こうしなきゃ」と決めつけすぎると、波に逆らってしまう。
でも、一歩引いて「まあいっか」と受け入れると、不思議とスムーズに進む。
サップをしていて気づいたのは、そんな単純で大切なことだった。
【サップのスピリチュアルな魅力】自然の波に教わる生き方
サップはスポーツでありながら、瞑想に近い感覚もある。
大きな海や湖の上に立ち、全身でバランスをとりながら、ただパドルを漕ぐ。シンプルだけど、その中に自然との対話がある。
特に今年は「波に乗れている」と実感できた。
それは技術の問題じゃなく、心のあり方の問題だった。
人生で壁にぶつかったり、将来が不安になったりするときこそ、サップ的な感覚が必要だと思う。
「波に逆らわず、身を委ねる」
「ゴールを間違えなければ、遠回りしてもいい」
このシンプルなルールを思い出せば、不安で動けなくなっていた気持ちも、少しずつ前へ進める。
まとめ:サップは人生を教えてくれる先生だった
今年のサップ体験は、ただの遊びではなかった。
波に委ねること、遠回りしてもいいこと、無理にコントロールしなくていいこと――人生に必要なメッセージを自然から受け取った。
誰にでもあると思う。
「目標に向かって頑張っているけど、壁にぶつかって不安になる瞬間」
「これで合っているのかな」と迷う瞬間。
そんなときは、サップをやってみてほしい。
自然の波に乗る感覚は、きっとあなたの心をゆるめてくれる。
そして、自分をちょっと好きになれるかもしれない。
人生は一直線じゃなくていい。
波に揺られながら、ゆっくり進んでいこう。
人生は一度きり、楽しんでいこう。