こんにちは〜
のびおです!
最近ふと考えることがあって、幸せってなんだろう。仕事ってなぜするのだろう。
そこにはきっと生きがいがある事が前提だが、生きがいってなんだろう。と
私は、人や環境が【自然体】に戻っていく瞬間や、人と人、人と環境が繋がった瞬間に何よりの生きがいを感じています。
だからこそ、自分自身のことも、できる限り丁寧に、まるごと満たしてあげたいと日々意識しています。
この「満たす」とは、単に何かを足していくことではありません。むしろ、本当に必要なものとだけつながり、余計なものは脱いでいくような、そんな“引き算”の感覚です。
何かを手に入れようとする前に、何を手放そうかと考えます。
そんな私があるとき試したのが、「雪の上で眠る」という体験でした。
白く静かな世界。
音も色も吸い込まれていくような、極限ともいえる環境の中で、私はただ寝っ転がり、雪の大地に身をゆだねてみたのです。
今回はそこでの気づきを綴っていきます〜
体が発する「本当の声」が聞こえてくる
最初に感じたのは、圧倒的な静けさでした。
外界からの音が消え、自分の呼吸の音、心拍のリズム、わずかな筋肉の動きさえもくっきりと聞こえるような感覚
この時、初めて「身体が何かを語りかけている」と感じました。
それは、普段の生活では決して耳に入ってこないような、繊細な内なる声。
「今、少し手足が冷えているよ」
「深く息を吸って」
「ここにいるだけで、ちゃんと生きてるよ」
そんな声たちが、凍りつく雲のような大地の上で不思議とクリアに響いてきたのです。
自律神経は、自然との“対話装置”かもしれない
身体が反応していたのは、間違いなく自律神経でした。
私の自律神経がサインを出してきたのです。
冷たい雪の刺激に、交感神経が活性化し、末端の血管がギュッと収縮していく。
一方で、深い呼吸を意識すると、副交感神経が働き始め、徐々に体がゆるんでいく。
この交感と副交感の“ゆらぎ”が交互に訪れる感覚は、まるで波のようでもあり、対話のようでもありました。
ふだん私たちが“リラックスしよう”と思ってもなかなか難しいのは、この自律神経のバランスが偏っているから。
でも、自然の中、しかも極限に近い寒冷環境に身を置くことで、むしろそのバランスが整っていくかもしれない。
それはまるで、自律神経が自然という相手と静かに語り合い、自らのチューニングを取り戻していくような感覚でした。
「整う」とは、操作せずにただ委ねること
よく、サウナと水風呂を繰り返すことで「整う」と表現されます。
雪上睡眠も、ある意味ではそれに似ていて、交感神経と副交感神経が順番に活性化されるプロセスの中で、私たちの身体と心が本来のリズムを思い出していくように思います。
この時、特別なテクニックや思考は必要ありません。
むしろ、「どうにかしよう」とせずに、ただ自然のリズムに委ねてみる。
そうすることで、身体の奥からじんわりと“軽くなる”ような感覚が芽生えてくるのです。
ですので、サウナで時間や回数を決めて入ったり、サウナ→水風呂→外気浴の順番通りにやろうとするのは自然のリズムとは違うのかもしれませんね。
私もかつてはサウナは5分でサウナ→水風呂→外気浴のサイクルで3セットやるのが良いと思い込んでいましたが、この経験をした後に身体の声を聴いて自然のリズムに委ねてみたんです。4分くらいで自然とサウナを出て、水風呂に入らず外気浴で30分ほど休みそれで終了しました。そうしたら、今まで感じたことの無い心身の軽さと爽快感を味わう事が出来ました。
話は少し逸れましたが
私が雪の上で眠ったあの日も、目覚めた瞬間の身体はとても軽く、意識はクリアでした。
冷えた空気を吸いながら目を開けた時、世界と自分との境界がとても薄くなっているような気さえしたのです。
自然と対話しながら、自然体に戻っていく
私たちは、忙しい日々の中で、自分の身体の声を忘れがちです。
けれど自然の中で、極端な静けさと刺激の中に身を置くと、その声がはっきりと聞こえてくる。
そして、自律神経という見えない器官が、私たちを“自然体”へとそっと導いてくれていることにも気づけます。
人の根本は自律神経から出来ていると私は思います。
「雪の上で眠るなんて無謀だ」と思う人もいるかもしれません。
でも、そこには確かに、自分自身を整えるための本質的なヒントが詰まっていました。
それは、足すでもなく、変えるでもなく、ただ“在る”ということ。
身体の声に耳を澄まし、自然と交わりながら、静かに整っていく。
その感覚を、私はこれからも大切にしていきたいと思っています。
もっと身軽に、もっと軽く
そうすればどこへでも行ける
なんでも出来る
人生一度きり、楽しんでいきます!