「自律神経が悪い」「自律神経が乱れている」。
よく耳にする言葉だ。
でもそのたびに、どこか違和感を覚える。
“悪い”って、一体誰が決めたのだろう?
“乱れ”って、そんなにダメなことなのだろうか?
僕がこのテーマに興味を持ち始めたのは、
まさに自分自身の心身の揺れを感じていた時期だった。
頑張っても空回りしたり、体が重くてやる気が出なかったり。
一見「メンタルの問題」と片づけられそうな状態の裏には、
いつも“自律神経”の存在があった。
でも、研究や体験を重ねるうちに気づいた。
自律神経って、敵じゃない。
むしろ、「もう一人の自分」みたいな存在なんだと。
自律神経を「悪者扱い」していないだろうか?
僕たちは、体調や気分が崩れたとき、
つい「自律神経が乱れている」と言ってしまう。
だけどそれって、まるで“自律神経=悪いもの”という
誤ったイメージを植え付けてしまっているように思う。
そもそも自律神経は、
僕たちが生きるために、
昼夜問わず働き続けてくれている。
心臓を動かし、呼吸を整え、体温を保つ。
どんな時でも、必死に“私を守る側”でいてくれる。
それを「悪い」「乱れてる」と言ってしまうのは、
ちょっと酷じゃないだろうか。
自律神経は本来、変化するもの。
外の気温、環境、人間関係、感情——
あらゆる刺激を受けて、
そのたびにバランスをとってくれている。
つまり、“波があるのが正常”なのだ。
自律神経は「私」そのものだった
僕は理論的にも、実践的にも
自律神経を研究してきた。
その結果、確信していることがある。
それは——「自律神経とは、私そのものだ」ということ。
自律神経が興奮すれば、心が焦る。
緊張すれば、呼吸が浅くなる。
リラックスすれば、体が温まる。
全部、切り離せない。
“心”と“体”の間に線なんて引けないのだ。
そして面白いのは、
このシステムを理解すればするほど、
「自分の本音」や「本来のリズム」が見えてくること。
特に、ポリヴェーガル理論を知ることは大きい。
人が安全を感じているとき、
挑戦しているとき、
防衛しているとき——
それぞれの状態で働く神経のバランスが違う。
つまり、自律神経を理解するとは、
自分の“心の安全基地”を知ることでもある。
「乱れ」は、あきらめではなく“サイン”だ
僕は思う。
「自律神経が乱れている」という言葉の裏には、
どこか“自分へのあきらめ”が隠れている。
「もうダメだ」「整わない自分は悪い」——
そんな風に、自分を否定してしまう。
でも本当は違う。
乱れは、サインだ。
「ちょっと頑張りすぎてるよ」
「もう少し休んでいいよ」
そう、自律神経が“言葉にならない声”で伝えているだけ。
だから、責めるのではなく、聴いてあげたい。
どんな時も、自律神経は「あなたを守るため」に働いているのだから。
自律神経と“遊ぶ”という発想
じゃあどうすれば、自律神経と仲良くなれるのか。
それは「整えよう」とするよりも、
“遊ぶように関わること”だと僕は思う。
たとえば、
・深呼吸のリズムを音楽みたいに楽しむ
・寒暖差を“刺激”として味わってみる
・体の反応を観察して「お、今は交感神経優位だな」と笑う
そんな風に、自分の体と会話してみる。
それが「自律神経と遊ぶ」という感覚に近い。
コントロールではなく、対話。
操作ではなく、理解。
そこに“無意識の自己肯定感”が育っていく。
「今の自分、悪くないな」
そう思えた瞬間、自律神経は穏やかに整っていくのだ。
私からの一言:もっと“ありのまま”でいい
自律神経を知るということは、
結局、“自分を知る”ということ。
波があることを許し、
変化を恐れず、
その日の自分に「OK」を出す。
それが、自律神経と仲良くなる一歩目だと思う。
自律神経は敵じゃない。
あなたの味方であり、もう一人の“あなた”だ。
整えようと頑張るよりも、
今日も一緒に、遊んでみよう。
人生一度きり、楽しんでいこう