こんにちは!

のびおです〜

皆さん、急いで何かをしようとして空回りした経験はありませんか?

私もこれまでの人生で何度もそういう場面がありました。

私の性格上、なにか閃いたらすぐ行動したくなってしまうので。

だからこそ、意識的に「地に足つける」感覚を大事にしているんですよね〜

自分をすみずみまで大切にしようって決めてから、私の原点である雪を知りに長野で暮らし、その後は「土」を感じるために地元福島で暮らしています。

今日は土と触れてみて感じたことを綴っていきます~

土はやはり土台

当たり前かもしれませんが、やはり土は土台だな〜って感じたんですよね。

雪を知りに行った時、雪が解けて水になり川になる瞬間を見ました。標高2000mの所から作られた川は一体どこへ向かうのだろうか。それは最終的には田んぼの土へ向かい、米になって私たちの口へ入ってくるんだなと気づきました。

これは私が家業の手伝いで田植えの現場を見た時にそう思いました。

「土が苗を支えている」

やはり土は土台であり、土台の質が良くないと苗は飛躍しないのです。

そしてその光景は同時に人にも見えました。

人の土台は足腰

人が立つ時、土台となる部分は足腰ですよね。

その足腰が弱ければ飛ぶことも走ることもしゃがむ事も出来やしない。

だから足腰の「しなやかさ」が人を飛躍させるのです。

人が人を封じている

私は田んぼに植えられていく苗を見て一つ一つの苗が1人の人間のように見えたんです。

だからこの土をもっといい土にしてあげたいと思いました。

そしてこれは単に川の水を綺麗にすればいいと言うだけでは無いと思うのです。

なぜなら私は長野で雪から始まっているのを見たから。

つまり、雪が汚ければそこからでき上がる水は濁り、下界へ降りていきます。

私は長野で思わず聞いてしまいました。

「どうしてこんなに汚い雪が積もってしまうんですか」

そしたら、その理由は

「黄砂」

だったそうです。

ちなみに日本で観測される黄砂のうち約半分の49%が中国の大気汚染が原因だといわれています。これが何を意味しているか分かりますか?

人が人を封じているということです。

人の手によって雪が汚れ、土が汚れ、土台が整わない米を作り、それを食べている。

人の土台が土を変える

人による環境汚染を少しでも改善するためには「人の土台」を再構築する必要があるのではないだろうか。

・余裕が無い

・イライラする

・自分なんて…

こんな気持ちを持っている人たちがつい、はけ口として環境へ八つ当たりしてしまうのです。だから少しでもこの人たちの土台を広く柔軟にしてあげる事で土はもっと生き生きするだろうなぁとおもいます。

のびおからの提案

そういう人たちへ、「田植え」やってごらん。

土触ってごらん。泥まみれになってごらん。

地に足つける

を実践することで本当に自分の土台が広く柔軟になった実感があります。

しかも、田植えの体勢ってしなやかな足腰じゃないと長く続かないんですよ〜

じゃあ田植えやる前に1度自分の身体を整えてからじゃないとですね。

人は地球に住まわせてもらっている訳なので、隅々まで丁寧に扱ってあげること、その為には自分を丁寧に扱ってあげること。それが巡り巡って私たちの飛躍「のびのび」した生き方に繋がるんだな〜と感じました!

皆さんは人と自然の関係をどう思いますか?

人生一度きり、楽しんでいきましょ