目次

  • はじめに
  • 大人サイン4選
  • 大人になって手にしたもの
  • おわりに

はじめに

こんにちは、初めまして。この度はこの記事を読んでくださりありがとうございます。この記事は筆者の体験をもとに書かせていただいております。私は昔からよく、『末っ子だから仕方ない』『やっぱ末っ子だね』などと大人たちからバカにされることが多かったです。その影響で自分に自信を失った時期もありました。社会人になってもなにかうまくいかないことがあると末っ子だもんねという理由で片付けられることもしばしば。そういわれると、なんか妙にくやしくなるんですよね。末っ子だって苦労しているわ!いや、末っ子が一番大人だろ!と言い返したくもなります。実際そういってた時期もあります。ただ、今振り返るとそういってる時点で子供だなって思いました(笑)

ただ、最近ふとした瞬間にやっぱり自分が兄弟で一番大人になったんじゃないかなって客観的に感じる瞬間が増えたのでそのサインをお伝えします。あなたも当てはまってたら、大人の仲間入りしているかもしれません

これができたら『大人』の仲間入り4選

  • 物事を自責でとらえられるようになる。
  • 喧嘩ではなく話し合いができるようになる。
  • 意地やプライドがなくなる。
  • 客観的に判断することが増える。

物事を自責でとらえられるようになる

末っ子とはものすごく可愛がられて育ちますよね。そうなると、たいていのことは許してもらえちゃうんです。その結果、怒られたり注意されたりする経験が長男と比べるとはるかに少ないんです。ですので怒られなれてないから、怒られることを過剰に避けたがりますし、失敗も嫌がってしまいます。そうなると、もし失敗したときに素直に自分の非を認めることが難しく感じてしまうのです。それで、別の人であったり環境であったり自分以外の何かのせいにしてしまうのです。以前は私もそうでした。先生に怒られるのは本当に嫌でよく泣いていたので、怒られないために自分は悪くないという説明がやけにうまかったのを今でも覚えています。その考えが根本にあったので対人トラブルが起きても何か失敗しても誰かのせいにしていました。極めつけは遅刻をしてきたときでさえ自分は悪くないと主張していました。それって気づかないうちにプライドばかりが固められて、どんどん完ぺき主義の思考へ陥ってしまうんですよね。完ぺき主義を否定したいわけではありません。ただ、私はこれまでの人生を通して完ぺき主義のいいところはさほど感じませんでした。気が付けば大切な人たちがどんどん周りからいなくなっていきました。ただ、その経験があったからこそ、物事を自責でとらえる習慣が身に付きました。自分のせい、と自己否定に走るのではなく自分どうすればこの失敗をしなくて済んだだろうかと考えるようになったら自分を取り巻く環境ががらりと変わりました。

喧嘩ではなく話し合いができるようになる

兄弟が多いと喧嘩は付き物です。私は男の4兄弟だったので小さい頃は毎日取っ組み合いでした。末っ子なので勝ち目はないですが。ただ、私たち兄弟の場合は年齢が重なるにつれて暴力的な喧嘩から口を効かない喧嘩へと変わっていったのです。口を効かなくなる期間が長くなるにつれて関係を修復するのにも時間がかかるようになりました。やがて、私たち4兄弟は誰も誰とも口を効かなくなる状態にまで険悪な仲になってしまったのです。家庭内がそういう状態で育ってきたからこそ、気づけば友人や恋人と喧嘩になる時は暴言を吐きまくるか完全に無視するかの極端な行動しか出来なくなってしまいました。ただ、それも年齢を重ね、同じような経験を重ねる度に少しずつ感情を抑えて話し合えるようになっていきました。特に歴代の恋人達との別れは私を強く大きく成長させてくれたと思います。末っ子であったためにいじめられる側の気持ちが分かるからこそ自分を防衛する為に相手を攻撃したり相手と距離を置くことしか出来ませんでした。しかし、話し合うことで攻撃や拒否ではなく、協調することを少しづつ覚えるようになって行ったのです。協調できるようになったのは彼女達のお陰かもしれません。

意地やプライドがなくなる

末っ子には末っ子なりの維持やプライドがどうしてもつきまといます。それは兄たちを見て育っているからこそ、末っ子が1番優秀であるべきという風習が家にあったからです。ですので、私は兄弟の中で1番運動も勉強も出来た方だと思います。そして、その事実がより私のプライドを高くしてしまったのです。それに、先程も書いた通り、末っ子は完璧主義になりやすいし自分の非は認めません。いわゆるエリート街道まっしぐらという感じです。なので高校生まで大きな挫折を味わうことはありませんでした。そんな私を大きく変えたのは高校3年の冬のことです。突発性の首の病気にかかり、そこから私の考えはがらりと変わりました。いつ死んでもおかしくない。1日1日に意味がある。そう強く思うようになり、そこからは段々と自分の考えが変わっていったのを今でも覚えています。 維持やプライドがあるとどうしても他人と協調する事ができなくなります。いつも孤独を感じます。そして1人で出来ることには限界があることを知ります。だから人は誰かに支えられたいと思います。でも、その支えは多いに越したことはありません。自分が幸せになるために、誰かを幸せにするためにプライドは要らない。と心の底から思えるようになった時、私は大人の階段を1段登れた気がしました。

客観的に判断できるようになる

よく周りに自分の主張だけ押し通そうとする人いませんか?「私はこんな気持ちになった」「私はこんなにやってるのに」のように主観が強いばかりに第三者視点で物事を見られないことで自分の感情に振り回されるだけでなく、当然周りからの信頼も失います。これは末っ子に限らず甘やかされて育った人は陥りやすいですね。こういう言動を繰り返していると段々と他人から相手にされなくなり、煙たがられます。そしてそういう人の心には余裕は生まれてこないでしょう。「大人」な人に共通する点として私は心の「余裕」が思い浮かびます。心に余裕が持てる人はいつも自分の感情も考えも理解してコントロール出来ます。中には末っ子という特徴を活かして上の兄たちの失敗から沢山見て学び、客観的な思考になる方もいらっしゃるかと思います。私は完全に主観100%タイプでしたが。それでも社会人になり組織で働き、常に目上の方とお話していくうちに第三者視点で見えるようになっていきました。

『大人』になって手に入ったもの3選

  • 幸せな人間関係
  • 幸せな経験
  • 幸せな人生

幸せな人間関係

「大人」に近づくにつれて凄く変化を感じたのは関わる人たちです。類は友を呼ぶと言いますが本当に自分の周りには自分と似た人達が集まります。愚痴を言う人の周りには愚痴を言う人が溜まります。自分軸で人生を切り開こうとしている人の周りには同じように挑戦する人が集まります。私の小学校時代、いつも周りは誰かを的にしていじめてたいじめっ子ばかりでした。だいたい口癖は「でもだって」の人たちです。しかし、今は自分も相手も大切に出来る人達に囲まれて生活しています。関わる人が変われば考えも変わり、行動も変わります。古くからずっと長く付き合いのある友人がいる事も大変素敵なことだと思います。ただ、自分のコミュニティが長い間変わらない場合、その人の価値観は決して変わらないでしょう。それを悪いとは言いませんが、私は1度きりの人生ならばどんどん自分の成長に合わせて付き合う人が変わる人生の方が素敵だなと思います。

幸せな経験

関わる人が変わり、環境が変われば当然経験することが変わります。精神年齢が高い人たち同士のコミュニティには自然と常に安全・安心の空気が漂います。だからまた新しいことに挑戦出来て、それが成長へ繋がるのです。私はコミュニティを変えることに抵抗がそこまでないため、頻繁に色んな団体に属しました。学生の頃まではとても緊張しいで上手くとけ込めない事が何度もありました。それでも繰り返していくうちに、私自身の心の余裕度も増していき、関わる人たちも自然と同じような方々へ変わっていきました。ちなみに今はセラピストの方々とのコミュニティや旅人とのコミュニティに属しています。その人たちといずれ出張セラピストとして旅をしたいよね〜という共通の目標を持つようになりました。同じ志を持てる仲間と一緒だからそこに向かう体験・経験がより深くなるのです。

幸せな人生

幸せな人と幸せな経験を共にできることってまさに幸せな人生じゃないですか?私は今の自分の人生が幸せであると胸を張って言いきれます。それは今の私が限りなく「大人」の領域に入れたからだと思ってます。

おわりに

実は、私たち4兄弟は本当に仲が悪く口を効かなくなって早10年近く経ちますが、つい最近私から兄に連絡をしまして少し関係が修復しつつあります。今までだったらなんで末っ子の自分がやらなきゃいけないのだと思ってたかもしれませんが、今は兄弟が仲良くなるのなら自分が率先して連絡取ろうと思い実行しました。本当に自分が動いて良かったと心から思います。やはり確実に大人になれたんだなと実感しました。私はこれまでの経験を通して大人になるには大人な人と関わることが重要であることに気づきました。

どういう人であれ自分と相性のいい人達と過ごせればそれは居心地がいいことでしょう。しかし、大人な人に囲まれた生活を送ることが出来れば、よりあなたの協調性に磨きがかかり、より取り巻くコミュニティが増え、より多くの人と信頼を築く事ができます。そうなることで心に余裕が生まれ、自分の判断に迷いがなくなります。そうすることで自分だけでなく大切な人たちとも幸せな人生を送れるようになるはずです。

よく失敗してなんぼという人がいますが私が大切だと思うのはその失敗から何を学ぶかです。その学びがなければ同じことを繰り返してしまいます。人生に学びを止めては勿体ないです。

明日も学びある1日にしていきましょう