「全てに感謝」という人、周りにいませんか?私はこういう人を信用できません。なんか思考が浅いな〜とも思うし、薄っぺらいな〜とも思います。感謝とは自分の価値観によって対象やその熱量は変わるものだと考えています。今回は私なりの感謝についての考えを述べていきますので、周りにこういう人がいる方は判断材料のひとつにしてもらえればと思います。
感謝の対象は価値観によって変わる
普段あなたはどういう時に感謝をしますか?
一度心に手を当てて考えてみてください。出てきましたかね?
では、次に考えて欲しいのはその感謝の対象は人ですか?自然ですか?動物ですか?
この答えが、あなたにとって重要な価値観だと私は考えます。人に感謝を感じる場合は人との繋がりを大事にし、繋がることに幸せを感じます。また、自然界に対して感謝を感じる場合は自然に身を置くことに幸せを感じます。逆に、生態系を大事にしている人が、土地開発で新しくビルが立つことに感謝するでしょうか?きっと感じないはずです。要は、自分が何に幸せを感じるのかによって感謝する対象は変化するのです。なのに全ての出来事に感謝と言っている人は私からしたら何を言っているんだとなりますね。何も自己理解が出来ていない証拠だと思います。
感謝の熱量は対象によって変わる
先程は価値観によって対象が変わるといいましたが、必ずその対象が1つとは限りませんよね。それこそ、人やもの、自然、ありとあらゆる対象があると思います。だから私たち人間は身の回りの沢山の対象に感謝をしながら生きているのです。でも、その感謝の熱量って全て同じですか?きっと違うはずです。対象が自分の人生においてどのくらい優先順位が高いかによって感謝の熱量も変わります。
「全ての当たり前に感謝」と言う人がいますが、私的には全ての当たり前に感謝は全ての対象に同じ熱量の感謝っていうニュアンスで受け取ってしまうんですね。だから、その言葉を聞くと、この人は自分の中で大切にしている価値観を分類出来ていないんだな〜と判断してしまいます。正直、自己理解出来て無さすぎて薄っぺらく感じます。
自己理解が優先的
ここまでの話を聞いて何となくお察しかと思いますが、感謝を伝える前に自己理解が先!って思います。勿論、誰ふり構わず感謝をぶちまけても個人の自由なので構いませんよ。ただ、私はそういう自己理解が足りずに言葉だけ並べるような人は信用出来ないので、感謝されても「また言ってるよ〜」と聞き流しますね笑
因みに私は結構自分の分析をしているので感謝する対象としない対象ははっきり分かれています。だからこそ、感謝を伝えた時はその言葉に重みがあり、心から伝える事が出来るので相手に伝わりやすいです。まあ、とりあえず人の目が気になって嫌われたくないとか思っている人であればテキトーに何でもありがとうって言っても良いと思いますけどね。笑
すべてに感謝している自分が好き
結構これもあるあるなのが、自分を理解出来ていないくせに自分の言葉でサラッとこういうセリフ言えちゃう人はこういうセリフを言っている自分に酔っているパターンです。これ結構多いと思いますよ。全てに感謝しているって聞こえ100点だし、悪い気分になる人いないですもん。(まあ私はなりますけど)じゃあ具体的にその全てに含まれる対象全部言えんのかって聞いたらきっと言えないでしょうね。だって自分が何に感謝を感じるのか理解してないんですもん。なのによくこんな事言えるな〜って笑けてしまいます。
何も考えていない
総じて「全てに感謝してる」って言っている人の99%は大して何も考えていないと思っています。自分のことを分かってないのによく見せようとする人なのでしょーもないな〜って思います。言葉が軽く聞こえちゃうんですよね〜。軽く聞こえるってことはそこには思考が備わってないのでペラペラな人だなーと思ってしまいます。そういう人に深い話をしたいとは思えませんね。
最後に
色々暴言吐きまくりましたが大前提、人それぞれだから何を言おうと否定はしません。ただ、私が信用できないポイントとその理由は「思考の深さ」が関係してますよって事を伝えたかっただけです。私は人一倍言葉を大切に使いたい派なので、一つ一つのメッセージにちゃんと思いを乗せて発信したいので本当に自分が思ったことや大切だと感じている事を伝えるようにはしていきたいです。そのためにはこれからもたくさん経験し、自分を振り返り、言語化していきたいと思います。
一度キリの人生ですからね、楽しんでいきましょう!